8月15日は終戦記念日です

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時は昭和17年4月18日。東京上空にB25爆撃機が現れ、攻撃を開始しました。後に『ドーリットル空襲』と呼ばれるこの奇襲は、首都防衛の在り方を問う契機となります。

国は、当時、畑や雑木林であった高松・土支田・田柄一帯に首都防衛のための飛行場の建設を決定。昭和18年6月に陸軍航空本部から印鑑持参で板橋区役所に呼び出された地主たちは、8月末までの立ち退きを申し渡されました。同年10月、東西に長さ1,500m/幅300m、南北に長さ1,800m/幅600mの、2本の滑走路を持つ成増飛行場が完成します。戦後、飛行場とその周辺が、駐留米国軍家族住宅「グラントハイツ」を経て、みどりと太陽のまち練馬を象徴する「光が丘」と名付けられました。

今日は、掩体壕(えんたいごう)の写真を紹介します。

掩体壕とは戦時中に、空襲から戦闘機を守り、隠しておくための格納施設です。戦後しばらくは、物置のように使われたこともあったようですが、いまは、現存しません。

○掩体壕〔写真を見る

○成増飛行場、グラントハイツの代表的な写真は、「わがまちねりまの写真館」で見られます〔写真を見る

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