牧野博士とサクラ
花々が咲き競う春がやってきました。牧野記念庭園では、10種をこえるサクラがつぎつぎと花を開き、訪れる人々の目を楽しませてくれています。牧野博士のサクラ好きはつとに有名で、随筆の中でも、「桜の花の雲で東京を埋め、道には五、六里も続く花のトンネルを作らねばならぬ」と語っています。
園内には10種を超えるサクラ
牧野記念庭園には、ソメイヨシノをはじめ、早咲きのタイワンヒカンザクラ、葉と花が同時に伸びるヤマザクラ、オオシマザクラのほか、センダイヤザクラ、ワカギノサクラ、八重咲きのサトザクラ、ナデン、そして房状の花をつけるウワミズザクラ、シウリザクラと、多くの種類があります。
この中で、特に珍しいものとしてはセンダイヤザクラを挙げることができます。これは、博士が、生まれ故郷高知の仙台屋(呉服屋であったと伝えられています)の前で発見し、命名したもので、高知の親木が枯死してしまった現在では、この庭園のものが最も大きな古木となっています。 センダイヤザクラはヤマザクラの系統であるため、開花はソメイヨシノより1週間ほど遅れますが、花の色はヤマザクラよりも紅色が濃く、葉も赤味を帯びて、風格のある姿です。
また、「濃艶という点から言うと都会の見ものとしてはこの桜が一番好い」と博士が評するソメイヨシノは、生長が早く、葉が出る前にいっせいに開花し、そして散ってゆくところが日本人の好みに合っているようです。上野公園や飛鳥山など、現在サクラの名所と称されている所は、明治以後、このソメイヨシノをたくさん植えてつくられたものです。
わが国が誇る世界的植物学者牧野富太郎博士は、文久2年(1862年)に高知県に生まれ、幼いときから独学で植物学を研究し、明治26年に東京帝国大学理学部講師となりました。博士が採集した標本は約50万点におよび、数多くの著書と1千以上の植物名を構成に残しています。
牧野記念庭園は、博士が、大正15年から昭和32年に96歳で亡くなるまで、植物の研究に没頭されたゆかりの地を公園にしたもので、博士が集めた300種以上の植物が生育しています。
これから、庭園の季節ごとの植物のようすや、博士の業績などを、毎月1回紹介していきます。
昭和60年4月11日号区報
※写真は「センダイヤザクラ」