千川上水の分水を訪ねて(2)

ねりまの川

前回に引き続き、千川上水の主な分水をご紹介します。
*前回のエピソードはこちら「千川上水の分水を訪ねて(1)」(タイトルをクリックするとご覧になれます)

 

千川上水の分水を訪ねて(2)

<中新井村分水>

 旧中新井村(現豊玉地域)には、宝永4年(1707)から分水が引かれていたことが知られていますが、当時の具体的な位置については今もなお、謎のままです。
 明治10年7月の「千川用水組合村樋口伏替願(ひぐちふせかえねがい)」には、「字上新街(あざかみしんがい。中村と豊玉との境に取り入れ口)」、「字下新街(豊玉上2-20に取り入れ口)」、「字北新井(豊玉上1-26に取り入れ口。武蔵大学内)」の3か所に分水があったことが記されています。また、同17年11月の「千川上水絵図」には、いずれも「中新井村用水」として描き込まれています(現在は、区画整理後の一部水路の跡を残す)。
 この内、最も上流の中村と豊玉との地域境(上新街分)の分水は、南側の現学田公園一帯にあった池(中新井の池)に導かれていました。この池は、中新井川(現在は、中野区境の下徳殿橋(※)まで暗きょ・緑道)の原流でしたが、江戸時代すでに水がかれ(明和8年-1771-の「江古田村鑑帳(かがみちょう)」にはすでに「旱損(かんそん)」と記す)、これを補うために千川上水から水を引いたと伝えられています。
 「下新街」分の分水は、豊玉北2-17の市杵島(いちきしま)神社境内にあった湧水池(ゆうすいち)から流れ出していた水路につながれていました。
 「北新井」分の分水は、現在の武蔵大学内(一角に池があったという)を通り、すぐ南側から中新井川にかけてあった水田を潤していました。同大学では、この水路跡を泉水として復元し、「濯川(すすぎがわ。かつて野菜などをすすいだ川の意)」と命名しています。
 豊玉地域にはこのほか、現練馬消防署北側にあった水車に引いた水の流末と思われる水路が南に流れ、三の橋庚申(こうしん 豊玉中3-16)の東側付近で、現練馬郵便局南側にあった池から流れ出した小川と合流するなど、文献に見られない水路(今はすべて暗きょ)がありました。これら水路の役割については、なお調査の必要があるものと思われます。

<下練馬村分水> 

 栄町15付近(環状七号線脇)から北へ、羽沢-桜台境を石神井川に向かっていた分水で、現在は一部が路地状となってそのこん跡をとどめています。
 明治17年ごろの「千川上水路図」では、「下練馬村用水」となっています。
 下練馬村には宝永4年の初めから分水が引かれていましたが、そのときもこの位置であったかどうかなど、なお不明な点が多く残されています。羽沢二丁目にかかる付近から下流は、自然の谷を利用したもののようです。

<江古田村分水>

 旭丘1-18付近から南西に向かい、妙正寺川沿いにあった江古田村(現中野区)の水田を潤していました。
 寛政6年(1794)の「千川養水路之件書類」に「江古田村田養水」とあり、これも古くからあった用水と思われます。明治17年の「千川上水絵図」には、「江古田村用水」と記され、現在も一部路地状で残されています。

<葛ケ谷(くずがや)村分水>

 豊島区南長崎6-9、千川上水が北に曲折する位置から南東に分水し、妙正寺川沿いの葛ケ谷村(現新宿区)の水田に注いでいました。
 これも寛政6年の文書にある古い水路で、明治17年の絵図には「葛ケ谷村用水」とあります。
 現在の目白通り付近から南に自然の谷があり、これにつながれていました。今もなお、一部緑道として利用されています。

<長崎村外三村分水-谷端(やばた)川>

 豊島区要町3-45付近から南東に分水され、要町2-41の粟島神社境内にある池を水源とした谷端川につながれていました。
 これも古くからあった分水の一つで、明治10年7月の「千川用水組合村樋口伏替願」には「長崎村、中丸村、池袋村、金井窪村四ケ村用水」と記してあります。谷端川は、現在、道路下暗きょやコンクリートふたかけとなり、遊び場や遊歩道として利用されているところもあります。

<そのほかの分水>

 以上の諸分水のほか、明治17年の絵図には、「滝ノ川村用水」と「巣鴨村用水」が描かれており、これらも古い分水として各種の文献に見られますが、現状はいずれも不明です。

千川上水の分水を訪ねて(2)

(※)橋の名前は「徳殿橋」。交差点の名前は「徳田橋」で地図上の表記も「徳田橋」。

昭和62年4月21日号区報
写真:中新井村分水(右側)と中村分水(左側)の合流点(昭和38年 現学田公園西側) 須藤亮作氏提供

◆本シリーズは、練馬区専門調査員だった北沢邦彦氏が「ねりま区報」(昭和61年4月21日号~63年7月21日号)に執筆・掲載した「ねりまの川-その水系と人々の生活-」、および「みどりと水の練馬」(平成元年3月 土木部公園緑地課発行)の「第3章 練馬の水系」で、同氏に加筆していただいたものを元にしています。本シリーズで紹介している図は、「ねりま区報」および「みどりと水の練馬」に掲載されたものを使用しています。