ねりまの文化財を訪ねて=10=

ねりまの文化財を訪ねて

堅固な城 石神井城

ねりまの文化財を訪ねて=10=

 平成10年11月、石神井公園内の石神井城跡【東京都指定 史跡】(石神井台1-18)で石神井城フォーラムを開催しました。フォーラムでは、公募による区民ボランティアの方が、堀の部分を発掘調査しました。この調査で約500年前の落城時の姿が明らかになりました。
 石神井城は、鎌倉時代末頃から室町時代にかけて石神井川流域に権勢を誇った豊島(としま)氏の居城です。石神井川と三宝寺池に挟まれた台地上に、自然の要害を利用して築かれています。築城時期は不明ですが、太田道灌に攻められ、文明9年(1477)に落城したことが古文書に記録されています。当時の城郭は、土を盛り上げて築いた土塁(どるい)と堀を、館などの建物を囲むように四角形に巡らし、いくつかの郭(くるわ)を築いたもので構成されたものです。
 発掘調査したのは、現在でも土塁と堀が比較的残っている主郭と考えられている郭の堀の一部分です。樹木があり、全部掘ることはできませんでしたが、堀の断面を明らかにすることができました。また、土塁の盛り土からは、15世紀の常滑焼(とこなめやき)の甕(かめ)破片が出土したことから、この郭の築造または改修、修理がこのころ行われたことが明らかになりました。

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 堀の上部の幅は11.7~12.5m、底は幅が2.9mほどになる平らな箱堀であったと推定されます。堀の深さは約6mありました。堀は落城後間もなく、郭の外側から土を入れて埋め、その後、しばらくたってから内側にある土塁を崩して埋めたことが、土層の観察から分かりました。江戸時代中ごろには半分ほど埋まった状態であったと考えられ、踏み固めた痕跡もあることから通路となっていた可能性もあります。土塁を崩した土の量からすると現在の倍の高さの土塁が築かれていたと考えられ、堀の底から土塁の上まで10m近くもある堅固な城であったことが分かります。

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石神井城跡の主郭と推定される部分には、普段は入れません。

▽所在地 石神井台1-18(都立石神井公園内)
▽問合せ 区役所内伝統文化係

平成11年3月11日号区報

写真上:石神井城址本丸跡の森(昭和38年頃)
写真中:石神井城跡(令和4年)
写真下:石神井城址碑と石神井城跡(令和4年)