ねりまの文化財を訪ねて=7=
水田への引き水
田柄四丁目にある天祖神社の前には、かつて田柄用水が流れていました。神社入り口の石橋に、今もその名残りをとどめています。
石橋を渡り、境内へ入るとすぐ右手のところに田柄用水記念碑(区登録有形文化財<史跡> 平成7年度指定)があります。記念碑には「水神宮」と大きな字が刻まれ、水の神様として祭られています。田柄用水が水田を耕す人々にとって大きな存在であった様子がうかがわれます。
田柄用水は、小平市で玉川上水と分岐していました。区内では富士街道に沿って東に流れ、石神井公園駅付近で北上し、三原台を通り、土支田付近で東に折れます。さらに、光が丘、田柄、北町に通水していました。用水の開さく以前、これらの地域は、アシの生える荒れ地であったり、水田であっても天水に頼るしかない土地柄だったりしました。
記念碑には、用水の開さくまでの経緯が記されています。明治4年(1871)に用水工事はいったん完了しましたが、まもなく東京市街地の飲料水不足のため、玉川上水からの給水が減量されました。このため、用水周辺の水田は再び、渇水で悩まされるようになり、たびたび増水願いが出されました。以前の水路が拡張されることになったのは、板橋火薬製造所や王子製紙が工業用水として利用するのに、用水周辺の村と合同で請願するようになったためで、明治26年(1893)にようやく増水工事が終わりました。このとき、この記念碑が建てられました。
記念碑の台座には、大勢の人たちの氏名が刻まれており、当時の人々の田柄用水に対する思いの深さをうかがい知ることができます。
▽所在地 田柄4-27
▽問合せ 区役所内伝統文化係
平成10年11月11日号区報
写真上:天祖神社入口前の石橋(令和4年)
写真下:田柄用水記念碑(水神宮)(令和4年)