ねりまの文化財を訪ねて=2=

ねりまの文化財を訪ねて

富士山、大山への憧(あこが)れ

 「びっちょ投げろ おん導師まかぬ種子は はえないよ」
 これは、石神井あたりの富士街道を白装束で歩いていく一団に向かって、子どもたちが銭(びっしょ=びた銭)をまいてくれるようにせびった唄です。白装束の一団とは、富士山や神奈川の大山に登拝しに行く富士講や大山講の山岳信仰の人々です。江戸時代中ごろから昭和初めにかけて、江戸八百八講(はっぴゃくやこう)といわれるように盛んに講が結成されました。練馬区内にも、大勢の信仰者がいました。
 富士講は、霊峰富士に登り浅間神社に参拝することを目的に結成されたものです。年ごとに講の代表者として参拝する者を選び、必要な経費を講員全員で負担する、代参制の互助組織ともなっていました。富士登拝は、遠くにそびえたつ美しい山への憧れとともに、行楽が少ない庶民の楽しみでもありました。大山登拝も同様で、富士山より江戸・東京から近く、大山阿夫利(あふり)神社登拝の帰りには江の島へ寄るなど半分は遊山気分でもありました。
 代参者に選ばれなかった講員でも信仰欲を満たせるように、江戸時代終わりごろから富士山に似せた富士塚が各地に築かれました。富士塚は、登拝すると、実際に富士山に出掛けたのと同じご利益があるとされていました。区内では、次の富士塚が指定文化財となっています。

ねりまの文化財を訪ねて=2=

◆下練馬の富士塚(北町2-41)
◆氷川神社の富士塚(北町8-22)
◆中里の富士塚(大泉町1-44)
◆江古田の富士塚(小竹町1-59。正月三が日に開放)
▽問合せ 区役所内伝統文化係

平成10年5月11日号区報

※写真は、「中里の富士塚」(平成29年)