≪1月≫ お正月がござった ゆずり葉に乗って
松 の 内
正月1日から7日までを松の内という。暮から立てていた門松を普通7日に取り去るからである。
元日(昔はがんにちと言った)の朝は、年男(としおとこ)と呼ばれる一家の主人か跡取りが、若水を汲んで年神様に供え、それから雑煮の準備をする。日本の雑煮は大別すると、すまし汁、味噌汁、小豆雑煮の3種類だが、同じ地方でも家によって、その調理方法は大いに異なる。練馬区域では大方、関東風のすまし汁に切餅を焼いて入れる雑煮が多い。
年神様は臨時に拵えた年棚に迎える。年神様は女の神様で歳徳神(としとくじん)とも呼ばれ、その年の吉方からやって来る。折角訪ねて呉れる年神様をほっておいて、大きな神社や寺院の初詣に遠出するのは、どんなものだろうか。
7日の朝、年男は門松を片付けてその跡へ松の枝先を挿し、七草がゆを供える。七種粥(ななくさがゆ)はもともと米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・麦・小豆・胡麻の7種の穀類を塩味で炊く粥のことであった。普通言う芹・なずな・御形(“ごぎょう” ・・・ははこぐさ)・はこべら・仏の座(おおばこ)・すずな・すずしろ(大根)の春の七草で炊く粥は、若菜粥と言って7日の朝の祝食であった。前日に摘んだ七草は一晩水に浸して置き、7日の早朝、それを年男が例の「唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬうちに……」の唱え言葉を囃しながらトントンと刻んで七草がゆをつくる。この粥は神仏へも供え、家族も食べて一年の無病息災を祈った。七草ばやしの本来の意味は、年の始めに農作物の害敵である鳥を追って、豊年の予祝を行う鳥追の唄だという。
また区内では七日爪(なぬかづめ)と言って、七草を浸した水に爪をしめして切ると、一年中手に傷をしないとか、風邪にかからないという俗信があった。
小正月(こしょうがつ)
11日は蔵開きで、商家では新年初めて蔵を開き、鏡餅で雑煮を作る。農家ではこの日を鍬始めとか作入(さくいれ)と言って、新年の初耕式を行い、農作を祈願する。
14日から16日にかけてを一般に小正月と呼び、15日は特に朔旦(ついたち)正月と並ぶ大切な行事の日であった。昔の日本人は唐制の朔旦正月が入る前、月のみち欠けによって満月から満月までを一か月とする原始的な暦を使って生活していた。その風習が今も重要な催事を15日に行う習慣として残っているのである。
14日は朝から繭玉(まゆだま)を作る。繭玉は餅花(もちばな)や、削掛(けずりかけ)と共に小正月の作り物の一種である。餅花は花木の枝に餅や団子を付けて、作物の豊熟を願って飾る。削掛はにわとこや、ぬるでの木で作る花の形や、練馬でアボヒボという穂の形をした穂垂(ほだれ)がある。アボヒボは粟穂稗穂の訛ったものであろう。
繭玉は米の粉で団子や茄子・胡瓜・里芋・さつま芋などの成り物を作って、ナラやカシ・ケヤキなどの枝に挿し、神棚や大黒柱に飾る。繭玉は本来、養繭(かいこ)の害敵であるネズミを追い、蚕の増殖を願って飾ったものであろうが、いつか農作物の増産も合わせ願うようになった。
15日の朝は小豆粥(あずきがゆ)を炊き、神へも供え、人も祝食する。主な神社では12か月に見合う12本の細い竹筒や、粥かき棒で粥を掻き回し、筒の中へ入る米粒の数とか、棒に付着する状態によって、その年の豊凶を判断する粥占(かゆうら)が行われる。
このほか、氷川台の氷川神社(今は4月)や、赤塚大門の諏訪神社、徳丸の北野神社(いずれも2月)に伝わる田遊(たあそび)の神事は、もともとこの小正月の田楽祭であった。
1月のこよみ
1日 元旦
2日 書初め、初夢
4~7日 椀飯(おおばん・親類縁者が集まって新年を祝う)
7日 七草。人日(じんじつ・江戸時代五節供の一つ)
11日 蔵開き、作入れ、鏡開き
14日 繭玉作り
15日 小正月。左義長(さぎちょう)、どんど焼。
成人の日
16日 藪入り。繭玉をはずす
20日 二十日えびす(生業を守護する恵比須・大黒天を祭る)
21日 初大師(長命寺・三宝寺・南蔵院ほか)
25日 初天神(土支田八幡・北野神社ほか)
28日 初不動(正覚院・不動堂ほか)
このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「ねりまの歳事記」(昭和57年7月~昭和58年7月区報連載記事)を再構成したものです。
こよみについても、当時のものを掲載しています。
写真上:元日のお屠蘇(年不詳)
写真下:繭玉飾り(昭和32年)