現町名39<旭丘 あさひがおか>
ねりまの地名今むかし
西武池袋線江古田駅周辺は学生の街である。都心に近いだけに町の発展は最も早く、商店数も人口密度も区内屈指という。
昭和7年板橋区成立以来、江古田町と呼ばれていた。昭和22年練馬区独立の際、練馬区に編入。35年地番整理で現町名に改めた。もともとここは江戸時代、上板橋村字(あざ)江古田といって、多摩郡江古田村(中野区)の新田であった。だから本村へ名前を譲ったことになる。残ったのは駅名と銀行の支店の名前だけになった。新しい町名にはいろいろ議論があり、結局は住民投票で、地元小学校の名にあやかって旭丘に決まった。
旭丘小学校も、もとは上板橋第三小学校といっていたが、練馬区に編入のとき改称した。区内で最初に朝日が仰げる丘という意味で、校歌の一節に「のぼる朝日に・・・」とある。むかし、“おわい街道”といわれた清戸道(きよとみち)は、並行している千川上水が昭和30年ごろ暗きょ化され、見違えるようになった。新小金井桜と謳(うた)われた上水沿いの桜並木も、そのとき伐られてしまった。大正4年造立の「千川堤植桜楓碑(せんかわつつみしょくおうふうひ 区有形文化財)が浅間神社の一隅に残っている。
写真:学生のまち、江古田商店街(昭和27年)
ねりま区報 昭和59年7月1日号 掲載
このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。