現町名28<上石神井南町 かみしゃくじいみなみちょう>
ねりまの地名今むかし
昭和59年6月、住居表示の実施で新しく生まれた、区内では栄町に次ぐ2番目に小さい町である。
元は下石神井村原久保といった。村の南西部にあたり、千川上水の南側へ張り出した小字である。昭和7年、板橋区編入のときも下石神井1丁目の一部であった。それが上石神井に変わったのである。
下石神井の説明で村名の上下は京都の方向が上(かみ)、江戸は下(しも)と書いた。2,3人の区民の方から石神井川や、白子川の川上、川下によるのでは、とのご指摘があった。たしかに村名以下の小地名では、河川や丘陵の上下で分けた例はあるが、公の村名の場合は京中心と見たほうがよい。
ここの町名を下石神井から上石神井へ変更した理由は、西武新宿線上石神井駅の南だからということである。地域内には以前の地名、「原久保児童遊園」などの名が残っている。
町の東端、下石神井4丁目との境に西武新宿線の踏切がある。傍らに千川上水の掘り割の跡が残っている。「千川上水橋梁」と呼ばれるその鉄橋は、1926年製で、西武新宿線開通当初のものである。
写真:千川上水橋梁(平成9年)
ねりま区報 昭和60年6月21日号 掲載
このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。