現町名23<旭町 あさひちょう>
ねりまの地名今むかし
昔は土支田村といった。江戸時代の土支田村は今の旭町、土支田、東大泉の全部と、光が丘、三原台の一部を含む大村であった。村は幅1km余、全長約6km、上組と下組に分かれていた。ここは下組であった。明治になって、上・下両組は別々の村となった。今の旭町と土支田は下土支田村に、東大泉は上土支田村になった。
明治22年町村制が布(し)かれ、下土支田村は上練馬村に併合、上練馬村大字土支田と呼ばれ、昭和7年板橋区成立のとき練馬土支田町1丁目となった(2丁目は今の土支田)。
昭和22年8月板橋区から練馬区が独立した。それまで練馬何町、石神井何町と言っていた練馬・石神井の冠称を、昭和24年1月1日を期してとることになった。土支田1丁目ではその際、町会有志を中心に町名変更が発議された。土支田1丁目では字数が多いし、土(どろ)くさい。希望のもてる明るい簡単な町名がよい。ということで旭町に一決したそうである。以来昭和43年、住居表示にもそのまま旭町が踏襲された。
町内には江戸時代からの歴史をもつ妙安寺(みょうあんじ 旭町3-10)、本覚寺(ほんがくじ 旭町1-26)、昭和36年田端から移った仲台寺(ちゅうだいじ 旭町1-20)がある。
写真:妙安寺参道(平成29年)
ねりま区報 昭和59年11月11日 掲載
このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。