現町名6 <羽沢 はざわ>
古くは下練馬村の「羽根沢(はねさわ)」といった。むかし、いつのころか、鶴がたくさん飛んできて羽を落としていったのが地名の起こりだという。23区に“羽”の名がつく地名は多い。羽田、赤羽はよく知られているが、羽沢(はねざわ 渋谷区)、羽根木(はねぎ 世田谷区)などの町名もある。渋谷区の羽沢の由来は、鎌倉時代、源頼朝の飼い鶴が飛んできて卵を産み、かえったヒナが初めて羽ばたいたからだと、江戸時代の地誌『江戸砂子(すなご)』にある。練馬の場合も同じような伝承から生まれたのだろうか。
地名の語源からは、羽は埴(はに)に通ずるとする説が有名だ。埴輪を作る埴土(はにつち =粘土)のことである。羽沢は石神井川の右岸にあたり、羽根沢橋付近の低地から南へ深く入り込む谷が、今も桜台の台地との間に水路敷となって残っている。谷合いは埴土の豊富なところであったにちがいない。
谷の東は起伏のある台地で、地続きに板橋区の小茂根(こもね)である。そこには日本の考古学上有名な茂呂(もろ)遺跡がある。ちなみに小茂根は旧上板橋村の「小山」、「茂呂」、「根ノ上」の合成地名である。
昭和7年、板橋区時代は南町1丁目といった。練馬区独立後、地番整理が実施されることになった。初めは羽根木、北羽沢、南羽沢、羽沢前の旧字(あざ)別に4丁目になるはずであったが、羽沢前(現在の栄町)は独立一町の希望が強く、現行のように3丁目までとなった。そのときから町名をハザワと呼ぶようになった。
写真:武蔵野音楽大学(昭和4年)
ねりま区報 昭和59年12月1日号 掲載
このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。