猪の恩がえし

ねりまの伝説

 今の大泉地区の北の方を、昔は広沢原といった。その名のとおり、見わたす限りの原野や雑木林がつらなっていた。そしてそのあたり一帯には、たくさんの鳥やけものがすんでいたといい、中でも猪が多くいた。 
 その頃、この近くの村の人たちは、子どもが生まれると、お七夜の日にほっかほかの赤飯を炊いてお祝いをするならわしがあった。その時には、猪にも赤飯を供えることを忘れなかったという。

猪の恩がえし

 ある日のこと、村の家にまるまると太った可愛らしい赤ちゃんが生まれた。お七夜の日がくると、しきたり通り赤飯を炊いてお祝いをした。もちろん草原にすんでいる猪にも供えてやった。赤飯をおいて家に帰ってみると、どうしたことか、不思議なことに今まで寝かせておいた筈の赤ちゃんの姿が見えなくなってしまった。親たちは、狂気のようにそちらこちらを探しまわったが、どこをさがしてもどうしても赤ちゃんを見つけることができなかった。
 しょんぼりと今は生きた心地もなく悲しんでいると、夕方のこと、縁側のあたりで何か物を置いた時のようなことんという音がした。何だろうと家の人が縁側に出てみるとどうでしょう。赤ちゃんが元気な姿で、そこに置かれているではありませんか。「誰か届けてくれたのだろう、お礼をしなくては」と、思ってふと庭先を見ると、何か大きなけだもののようなものが動いている。よくよく見ると、一頭の大きな猪のうしろ姿が、今まさに夕暮れの薄暗がりのかなたへ消えていくところであった。

 この話は、たちまち村中の人々へ伝わっていった。村人たちは、日頃、お祝いの赤飯をご馳走になっている猪が、恩返しのために、どこからか赤ちゃんを見つけだし、届けてくれたにちがいないと語り合ったという。
 こういうことがあったので、村人たちは、ますます動物をかわいがったという。

昭和54年2月21日号区報

写真:昭和20年頃の東大泉辺りの様子