南蔵院
ねりまの伝説
南蔵院は、瑠璃山医王寺といい、怪談「乳房榎」の舞台になる南蔵院とよく間違えられる。ある案内書によれば、この寺に由来の格子天井があると書かれているが、これは高田砂利場村(今の豊島区高田南一丁目)の大鏡山南蔵院のことで、練馬の南蔵院ではないのである。練馬のわらべ唄に「何でもあるのが南蔵院」と唄われているが、最初から決して豊かな寺ではなかったようである。
由緒によれば、延文2年(1357、南北朝の頃)この地にきた良弁僧都の開基といわれる。新編武蔵風土記稿によると、僧良弁が法華妙典を納めるため、諸国の霊場を巡っていたが、志願が終ったので当寺に錫を止め、妙経を埋めて一箇の塚とした。中村の中ほどにある良弁塚がこれであるという。ここに止まった良弁は、その後もこの寺で修業を怠らなかった。ある日、薬師の尊像を感得したので、良弁は、この地に堂宇を建ててその像を安置したという。
これによれば、南蔵院は、さらに以前からあったことになるし、またつぎのような一説を伝えているものもある。
ある日南蔵院に薬師像を背負った六部がきて、泊めてほしいと頼んだ。住職は、病気であったのでことわったところ、諸病にきくという「白竜丸」の処方を教えてくれた。
この六部が良弁であるといい、病気のなおった住職は、あつくその薬師を祀ったという。
白竜丸の効能あらたかなことと、その後火災があったときも薬師像だけ焼けあとに残って光り輝いていたということで、一層信仰が高まった。薬師像は、秘佛とされ、33年に1度、御開帳される。
昭和54年1月21日号区報
写真上:南蔵院(昭和59年 中村1-15-1)
*南蔵院の鐘楼門は区指定文化財
写真下:良弁塚(撮影年不明 中村3-11)