権現様

ねりまの伝説

 上練馬村字向貫井(現在の貫井一丁目)に大きな沼があった。この沼の由来は、むかし、干ばつのため作物は枯れ、飲み水にも困っている村民を、通りかかった弘法大師が哀れに思って持っていた杖で地を掘ったところ、清水がこんこんと湧き出してできた沼だと言い伝えられている。貫井の地名も、また、これからおこったといわれている。

 この沼の近くにある円光院には、つぎのような話しがあります。

 

 
 昔、円長という法師がこの地に来て密法の修行をしていたが、どうしたことか急に腰や脚が痛む病気にかかった。いろいろの治療をしたが少しもききめがない。万策尽きた法師は7日間の断食をし、一念こめて武州大鱗山の子聖大権現を拝み、一日も早く病気がなおりますようにと祈った。満願の日、紫雲がたなびいた中に尊像が現われ「熱心な信仰心に感心したのでお前の病気をなおしてあげよう。昔私が諸国を行脚してこの地に来た時、夏の大干ばつに困っている百姓の話を聞き、それを救ってあげようと思った。暫く観法を凝してから川上数十歩の所を調べ、杖で田の畔に穴を掘り水脈をふさいでいた石ころを取り除いたところ、水がこんこんと湧き出て田をうるおした。その時取り除いた石ころがここにあるのでこれを痛むところにあて撫でなさい。」といわれた夢を見て目が覚めた。
 痛みに苦しんでいた円長法師は「ありがたい夢を見た。正夢に違いない。」と、近くの百姓にこの話をして石のありかを尋ねると、小槌の形をした奇妙な自然石が見つかった。これが夢に見た霊石にちがいないと家に持ち帰り、一生けんめい念仏を唱えながら患部を撫でさすった。すると次第に痛みが薄らぎ何日もたたないうちにすっかりなおってしまった。紫雲に乗った尊像の杖によって、地中から湧き出した水によってこの地が救われたので、そこの地を貫井というようになった。又病気をなおしてもらった円長法師は感謝報恩の念を現すため永禄7年(1567)に堂を建てて貫井寺と呼び、近くに祠を建て子聖大権現を霊石と一緒に安置した。


 これが南池山貫井寺円光院の始まりであるという。子聖大権現は昔から子ノ年、子ノ月、子ノ日と子が3つ重ねる12年目に御開帳をする。

昭和53年7月21日号区報

写真:子ノ聖観音碑(撮影年不明 円光院:貫井5-7-3)
   *子ノ聖観音碑は区登録有形文化財