エピソード
灌漑(かんがい)用として、また宗教的行事の場として、人の生活や文化と密接に結ばれていた川も、戦後の急速な都市化によって、単に災害や公害の元凶としてしか理解されなくなりました。しかし、自然と人との共存を目指そうとする現在、再び川は見直されようとしています。
川と、その流域に住んだ人々の生活の変遷を通して、「ふるさとねりま」の原点の姿を再現することは、今や大きな意義があるといえます。
こうした観点から、「ねりまの川 その水系と人々の生活」を連載します。
練馬区には、郷土の歴史や文化を伝える文化財が数多く残されています。
こうした文化財のうち区民の皆さんが直接訪れて見学できるものを、写真を交えて紹介していきます。皆さんの身近にある文化財を訪ねてみませんか。
※見学の際は、文化財の所有者や近隣の方などに迷惑のかからないよう、十分配慮してください。
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ねりまの文化財を訪ねて
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ねりまの文化財を訪ねて
ねりまの文化財を訪ねて=13=
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ねりまの文化財を訪ねて
ねりまの文化財を訪ねて=12=
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ねりまの文化財を訪ねて
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「地名」は過去と現在を結びつけ、その地域の歴史を明らかにする貴重な文化遺産です。
練馬には現在46の町があり、これらの町名の由来や沿革を遡って、かつての暮らしや風景に思いを馳せてみませんか。
ここでは、郷土史研究家桑島新一さんに執筆いただいた区報の連載から、区報連載記事を再構成し、練馬の地に住む人々に使われていた旧地名と現在の町名の由来などをご紹介します。
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ねりまの地名今むかし
完結にあたって
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ねりまの地名今むかし
旧地名15<武蔵国(むさしのくに) 豊島郡(としまぐん)・新座郡(にいざぐん)>
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ねりまの地名今むかし
現町名40<小竹町 こたけちょう>
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ねりまの地名今むかし
現町名39<旭丘 あさひがおか>
区史を作るときは、私たちもまちへと取材に出かけます。
地元の方の生き生きとした語り口は、小さなタイムマシンのようで、瞬きすると、目の前に鮮やかな風景が現れます。
区史には載せきれない、それぞれのまちの歴史の一片をご紹介します。
昭和63年8月から平成5年4月まで6年にわたって区報に掲載された人気連載です。
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古老が語るねりまのむかし
50 良好な街並みを守ってきた城南住宅
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古老が語るねりまのむかし
49 関町でのわが家の農業の移り変わり
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古老が語るねりまのむかし
48 土支田にある区内最古の水車
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古老が語るねりまのむかし
47 富士見高等女学校に通ったころ
「歳時記」ではなく『歳事記』です。
四季折々の風景とその土地に暮らす人々に伝わる季節の行事などをまとめた区報の連載です。
記事は昭和57年~58年にかけて書かれたもので、すでに失われた風景もありますが、脈々と受け継がれている「催事」もあります。
ご近所に息づく、練馬の歴史をお楽しみください。
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ねりま歳事記
≪結び≫おわりにあたって
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ねりま歳事記
≪7月≫ 祖先の霊はちやが馬に乗って
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ねりま歳事記
≪6月≫ 御霊(ごりょう)を崇め祭り、鎮めて
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ねりま歳事記
≪5月≫ 鯉は泳ぐ、皐月(さつき)の空に
区立牧野記念庭園は昭和33年12月に開園。令和2年にリニューアル10周年を迎えます。
このシリーズは昭和60年の4月から9月の区報で月1回連載したコラムに、新たな画像を加えて復刻したものです。
本文で紹介する植物には、現在では見られないものも含まれていることをご了承ください。