現町名3 <平和台 へいわだい>
ねりまの地名今むかし
旧下練馬村の「本村(ほんむら)」、「重現(じゅうげん)」、「丸久保」といった。「本村」は、下練馬村の中でいちばん早く拓けた中心地である。村制時代はここに役場や駐在所があった(平和台3-22)。「重現」は「重見」とも書き、シゲミと呼ぶこともあった。すぐ東の方、氷川台1丁目と3丁目に「湿化味(しっけみ)」という地名がある(湿化味橋)。茂みか、湿地の意味か後の考察に委ねる。営団地下鉄(現・東京メトロ)有楽町線の平和台駅前の交差点付近を、地元では今も「丸久保」といっている。ここは富士大山街道と高田道(地下鉄が通っている道路)が交わる交通の要衝であった。平和台4-26には多くの地名と里程を彫った道しるべの馬頭観世音がある。
下練馬村は昭和4年町制をしき「練馬町」となった。同7年に市郡合併し、板橋区成立のとき、「練馬町」は北町、仲町(なかまち)、南町の3つに分かれた。ここは仲町の一部となった。
昭和40年住居表示が実施された。「本村」という案もあったが、村のつく町名は文化練馬にふさわしくないというので現町名に決まった。
写真:東京メトロ有楽町線 平和台駅(平成10年)
ねりま区報 昭和59年9月1日 掲載
このコラムは、郷土史研究家の桑島新一さんに執筆いただいた「練馬の地名今むかし」(昭和59年6月~昭和60年8月区報連載記事)と「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」(昭和60年11月~昭和61年4月区報連載記事)を再構成したものです。